みなさんこんにちは![ポールのまきば]です!
だんだんと春の陽気になってきましたね♪
今回のテーマは『神の愛の大きさ』です!
そもそも愛に大きい小さいってあるんでしょうか?気になりますね!?
今日も一緒に学んでいきましょう!!
『神の愛の大きさ』
聖書の神、何がそんなに凄いのか!
私の答え、それは『愛』です。
ここで落語の『三方一両損』という名奉行、大岡越前のお裁きを一つ。大岡は江戸時代でもっとも奉行から大名に出世した唯一の人物ですが・・・。
ある男が3両も入った財布を拾う。
持ち主が分かりお金を返そうとするが受け取らない。
この江戸っ子の二人は意地の張り合いでケンカになる。
そこで大岡越前は、自分の財布から一両を出し四両とした。
そして、この2人に2両づつ渡し、拾った者も本来の持ち主も大岡越前も、みなが一両損してメデタシメデタシ!というお話。
この話の凄いところは、偉い大岡奉行が自腹を切って一両を出したことです。
(『三方一両損』:このお話が気になる人は調べてみてね♪)
天にいます我らの父よ・・・この天の、即ち神様の愛ってどのくらい大きいのでしょうか?
そもそも愛を測ることは出来るのでしょうか?
愛の大きい小さいは比べ計ることが出来ます! では、私たちの最大の愛とは何か、神様抜きで考えてみましょう。
私は親になって感じる大きな愛があります。それは、親が子を思う気持ち、愛です。
親は子のために命を差し出すことが出来るかもしれないと思う時です。
子どもの苦しむ姿は親には耐えられません。代われることが出来るのなら代わります。
ということは、親が子を思う愛の方が自分自身への愛より大きいということになります。
親が、子に対して苦しいと思うこと(心配、代わってあげたい)。この感情は愛から来るものです。我が子を愛する親の愛、それが古今東西にわたり最も大きな愛ではないでしょうか。
イエス・キリストという神の独り子が十字架に苦しみ死なれました。ここに神の愛があると聖書は教えています。
親にとって究極の苦しみ、それは子の苦しみと死。それも、もしたった独りの子だったらその苦しみは計り知れない。
天の父なる神様は、あなた、私、すべて人の罪を赦し、永遠の命を得させ、神の子どもとするために、その犠牲を払い忍ばれたのです。
天の父なる神様は独り子なるイエス様を鞭で打ち、十字架に掛け死なせたのです。神様ご自身があなたを救い、愛を示すために独り子イエス様を死罪にしたのです。
『三方一両損』の大岡は一両を差し出しました。しかし父なる神様は独り子を私たちのために差し出したのです!
今日、あなたは愛されています。誰に?
天の父なる神様に愛されています。
ライフチャペル 牧師、ポール.鈴木